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2008.11.6発作の記録(jive宇都宮)

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頭の中に、不安定な床がある。油のような、粘性のある物質が床にこぼれていて、とても滑りやすくなっている。あるとき、突然、そこに、先の丸い木の棒が垂直に突き立てられる。それが発作の始まりだ。

縦に力を加えられた棒の先端は、行き場を失って、たちまち横滑りする。そのときの方向が大切だ。棒は、頭頂部を貫通し、眉間と鼻の後あたりで、いったん停止する。その後、先端が、右下に滑れば、小規模な発作になる。顔がしばらくけいれんして、終わったあと、手が痺れるくらいで済む。

しかし、左下に向かって滑ってしまったときは、発作が大きくなる。そんなときはいつも、「しまった!」と思うと同時に、胸の奥から、恐怖が黒い塊となって込み上げてくる。左下に滑った棒は、その後、小さな発作のときの終着点である右下へ移動する。辺がひとつ足りないが、頭の中で、小さな三角形が描かれるような形になる。

こうなった場合は、すぐにでも、退避場所を確保しなければいけない。からだを動かし始める頃には、既に左の口元から始まったけいれんが、顔面左へと広がっている。瞼が激しく開いたり閉じたりする。世界が歪んで見える。足元がよろける。

とにかく、どこかに横にならなくてはいけない。たいていの場合、僕は常に、「いざとなったらどこに逃げるか」を考えながら生活している。その「いざ」の場所へ移動し、横になる。今回は、机に向かって電子メールのチェックをしていたときに「いざ」が起きたので、すぐさま、布団に避難した。

机から布団までのわずかな距離を歩く間にも、けいれんはどんどん広がっていく。ようやく体を横たえて、仰向けになったときには、顔だけではなく、左手の自由も利かなくなっていた。頭部全体を左側にひっぱられる。頭の中が激しく揺れ続ける。呼吸が苦しい。自分のからだの様子を確認することはできない。

ただ、布団と、からだの擦れる音がだんだん大きくなっていくので、けいれんが拡大していると分かる。視界には、隣に敷かれた妻の布団の上の枕が映っている。瞼の開閉と、けいれんによる揺れで、視野を固定されたまま、目の前の景色が上下に揺れる。けいれんが止まって欲しいと、強く願う。

願えば願うほど、焦れば焦るほど、けいれんは強くなる。「何も考えるな」と心に言い聞かせる。でも、それもひとつの思考であり、状況を悪化させる要因のひとつに過ぎない。

目の前の景色が、上、上、下、上、下、下、下、上、と不規則に動く。もし、けいれんが止まれば、景色は、「上」か「下」か、いずれかに落ち着くはずだ。だから、景色が、「下」に来たときに、そこで止まってくれ、と願う。すると、一瞬、景色が「下」で止まり、僕は安堵する。

しかし、実際、けいれんは続いている。「下」の一瞬を、永遠の長さに感じたいと思う僕の願望が見せた、偽りの風景だ。強引に時間を留めていたぶん、上、下、下、上、上、記憶が吐き出され、一気に攻め込まれる。同じことは繰り返すまい、と思っているけれど、とにかく、いったん、落ち着かないことには、気持ちを立て直す余裕が無い。けいれんで揺れた心の隙間に、焦りと、恐怖が侵入を試みている。とても冷たい。

右手の感覚も無くなってきた。あらかじめ設定してある携帯電話の「緊急連絡」ボタンを押そうと思うけれど、指が思うように動かない。必死になっていたら、左に引っ張られていた力が抜けて、天井が見えた。

僕の視線は、頭という箱の中に入っている。内側から外を見ている。からだが仰向けになれば、僕は、やむなく天井を見ることになる。けいれんがさらに強くなった。感覚は無いけれど、からだと、衣服と、布団が擦れる音が激しくなる。恐怖でいっぱいになる。

もう、意識を失いたい。でも、失ってしまったら、どうなるか分からない。怖い。後頭部にアイス枕の冷たさを感じる。それだけが僕の希望だ。布団に倒れることができて良かった。記憶はそこで途切れている。気づいたら、僕は同じ姿勢で天井を見ていた。

頭が痛い。からだが痺れて起き上がれない。発作のあとは、トイレに行きたくなる。しばらくじっとしてから、起き上がろうと試みる。からだ全体が痛い。よろよろと、歩きだし、ドアのノブを左手でつかもうとするが、空振りしてしまう。思い直して、右手でドアを開け、トイレに行く。

喉が渇く。部屋の中にはいつでも水が飲めるように、コップが置いてある。中のお茶を飲み干して、また、横になる。そのまま眠る。目覚めたら、筋肉痛がさらに激しくなっていた。

僕は、かつてスポーツジムに通うのが趣味だったので、筋肉痛には馴染みがあるのだけれど、どう考えても、ふつう、使わないようなところが、痛くなっている。特に、左手の甲から腕にかけてと、左あしのふくらはぎが痛い。

もう嫌だ。どこにも行きたくない。何もしたくない。このまま、布団にもぐっていたい。安堵とともに、次の発作への恐怖を感じる。発作は、続くことがある。もう、何も考えたくない。

携帯電話のボタンをひとつずつ押して、妻に、発作があった旨を伝える。そのうち夜になるから、妻が帰ってきてくれる。それを待つだけだ。帰ってきたからといって、何かが解決するわけでない。でも、そのことだけを考えて、ひたすら、枕に顔を押しつける。

[jive宇都宮 2008.11.6]

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