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死について(jive宇都宮)

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僕の死生観は常に変化している。

かつて僕は、生きることと、死ぬこととは、同義であると考えていた。

1日生きることは、つまり、1日分だけ、死に近づくことだと思っていた。

「生と死は、いわばコインの裏表なのだから、良く生きることが、すなわち良く死ぬことにつながるのだ」と考えていた。

しかし、実際、自ら望んで医師へ告知を求め、「あなたの場合は、XX年程度で、△△になる可能性が高いです」と言われてしまうと、心境に変化が生じ始めた。

「死」は、動かすことのできない事実として、厳然とそこにある、と感じるようになった。ある境界線を越えれば、その時点から、僕は、明確に、死ぬことになる。

それを思うと、とても怖い。

とても、寂しい。

***

死後の世界があるかどうかについて、僕は知らない。有るにせよ、無いにせよ、断言するだけの根拠を持たない。

そもそも、世界の一点に過ぎない自分自身が、死や生や、その後の世界や、運命、神、と言ったものに対して、断定できるはずが無い。

だから、「信じる」という行為があるのだと思う。「祈る」という行為が成立するのだと思う。(jive宇都宮)

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