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自分史(クロロ96)[ラーメン屋で倒れる]

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ラーメン屋で倒れる
(2003年12月7日 27歳)

「ラーメン屋で倒れる」写真

知り合いがお店をオープンするということで、手伝いに行った時のことでした。東京から飛行機で福岡まで行き、仕事だがワクワクしていましいた。お店をオープンするのでビラ配りや、周辺の調査などセッセと働いていました。夜は○○さんが色々美味しいものを食べに連れて行ってくれて、仕事も苦じゃなかったです。

それがあんなことになろうとは・・・

ラーメン屋で突如わけの分からない出来事が起きました。最後までスープをすすったその瞬間、突然自分の体が制御不能になり痙攣を起こしました。そのまま気を失って隣に居る○○さんに倒れこみました!

初めて救急車に乗りました。(その時の記憶は全く覚えていないです)そして地元の病院に運ばれ、一泊することなったのです。人生初めての入院でした。「CT」の結果、脳に何かがあるらしい。急いで東京に戻り紹介された大学病院に行きました。(○○さんは急遽、一緒に東京まで乗ってくれて心強かったです。お店のこともあったのに・・・)なれない検査をやらされ、即入院手続きをすることに。

なんと自分の頭に腫瘍があるそうです。「脳腫瘍」と呼ばれるもので、いわゆる脳の癌みたいなものです。

星細胞腫(アストロサイトーマ)
(2003年12月9日 27歳)

「星細胞腫」写真

「MRI」の結果「星細胞腫」が左の大脳にあることが分かりました。右脳を採ると左半身に、左脳を採ると右半身に影響がでるみたいです。自分は右利きなので何で左に腫瘍があるのかと、この時は思いました。

テレビでよく見るシーンの『親族の方・・・』みたいな小さな部屋に父と入って画像を見せてもらいました。そうすると福岡で仮に撮った「CT」よりも、すごく鮮明に影が写真に写っていました。

先生にいろいろ説明されました。自分の「星細胞腫」は「グレードⅡ」が90%でグレードⅢが10%くらいと言われました。いまいちピンときませんでした???

初めての手術・六人部屋 
(27歳)

「初めての手術」写真

本格的に入院することになりましたが、周りには自分より年上ばかりでどういう話題をしたらいいか、サッパリわからないです?そこで入院したことを友達にメールで知らせると、芋づる式にいっぱいの友達が来てくれた。

いい友達ばかりで(毎日誰かが来てくれた)退屈はしなかったのですが、色々物を持ってきてもらって、逆に申し訳ない気持ちになってしまいました。すぐに向かいのおじさんとも仲良くなり入院生活を満喫していました。ただ夜中のイビキには何回も起こされたことがあったけど・・・

病院の食事も普通に美味しいし何の問題もなく手術日を迎えました。喉に麻酔の管を突っ込んだ瞬間に、記憶がなくなった事を覚えています。【2003年 12月15日のことでした】

このあと「脳腫瘍」の恐ろしさを知ることになります。あまり考えずに手術に臨んだ自分は完全にナメていました。

手術は6時間にも及んで無事に成功しましたが≪話すことも、右半身を動かすことすら出来ない≫最初の一週間は地獄でした。言いたいことも言えないので(点滴の針が痛いってことも言い表せず、ずっとアウガァー、アウガァーと奇声を発したり、鼻が詰まっていてもかめないので暴れたり)ほんとに辛かったです。それでも父とまわりの親族に助けられて(ご飯を口元まで運んでもらったり、オムツを換えてくれたり)ほんとに助かりました。

術後、知り合いが来てくれて、ベッドの上で話したいし、動きたいけど何も出来ない自分に、その場で泣いてしました。なんで涙は出るのに・・・

リハビリ・回復力
(27歳)

「リハビリ・回復力」写真

病院でリハビリ漬けでしたが、信じて頑張りました。一週間くらい経った時、かなり回復はしましたが運動神経と言語と記憶力が全然本調子じゃなかったです。

先生が言っていたとおりの症状になりました。先生は「一過性」だから大丈夫だといっていましたが、このままだったらどうしようと何度も考えました。でもあんなにみじめだった自分がこんなに凄いスピードで回復するとは思っていませんでした。

2週間くらい経って、まだまだ退院できる状態じゃないけど、病院で年を越すのも嫌だったので、先生に無理を言って退院させてもらうことになりました。退院してからも少しの間、リハビリにも通ったし、毎日の何気ない行動が全てリハビリになりました。買い物をしてお金を出そうとしても思うように出せなかったり、まだまだ自分の言いたいことを言い表せない状態が続きました。

そんな中、親戚の伯父さんから、家でゆっくり治さないかと連絡がありました。自分も一人暮らしで心細かったのもあったので「行かせてもらいます」と言いました。

その伯父さんには娘が3人いて、たくさんの孫が来ていました。最初のほうは全然喋れなくて(喋りたいけど言葉がなかなか出てこない)子供たちに恐がられていました。でも最終的には仲良く喋れるようになり、みんなにお兄ちゃんと呼ばれるまでになりました。一週間くらいでしたが、これもいい経験になりました。

伯父さんのファミリーに感謝です。

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