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ともだち(そら)

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先日友だちと会いました。私は病気をしてから大勢が苦手です。だから3人が限度。それもちょっと大変です。


久しぶりに会った友だちとのお話は楽しいです。でもちょっと「あれ?」って感じることが多いのです。


一人の子は34歳で子供を産みたい。今33歳で付き合っている人がいる。それを聞いたとき「子ども作っちゃえばいいじゃん」って言ってしまいました。

夢を実現する時間と健康な体があるなら作ればいいのにそう思ったのです。そこにつかめるものがあるならつかみたいです、私は。

彼女は「私には人生計画があるの!順番があるの!」って。

そっかー人生計画。そんなの立てていた時があったな・・・と思いだしました。

私の人生計画は病気になったとき止まっています。どんな計画を立てていたのか忘れちゃった。

私のことだから曖昧な計画だったような気がする。
「おじいちゃんおばあちゃんいなって縁側でお茶を飲む。」
確かこんな感じでした。

でももっともっと未来があったような気がする。今を生きるっていうことに一生懸命になってから先のことがあんまり想像できないのです。もうすぐ32歳になるけれどそれも想像できなかったくらいだもん。

普通に「人生計画があるの」って言う彼女の言葉が羨ましかったな。
でもそこに戻れない自分にも気がついちゃった。

もう一人は10年来の友人と付き合うかどうか悩んでいました。「私には彼しかいないのかなって思うんだよね」それを聞いて「じゃあ、つきあえばいいじゃん」って言ってしまいました。

何事もやってみなけりゃわからない!ダメになる時はダメになる。考えているなら行動しちゃえば?って思ったのです。

でもそれも病気をして「死」と向き合っていろんなことを勉強したからこそかもしれない。

明日は多分あるかもしれない。でも一年後がわからないんだもん。だったら後悔しないように生きていきたいんだもん。と心で話していました。嫌われたくないから言葉に出せないのです。

私はどうなの?って言われたら困っちゃうし。
気になる人はいるけれどそれまでだもん。
そこからどうなるかなんてわからない。
だから人生楽しいんだもん。

彼女たちは私が脳腫瘍っていうことは知りません。目が見えないっていうことも。病気のことは何も知らないのです。

だから彼女たちと会うときは私は早口になるし必要以上に元気になる。そうしないと「普通」になれないから。

普通でいようとしていっぱいいっぱいがんばるけれど病気をする前の私なら楽しんでいたことが楽しめなくなっていることに気がつくのです。

それは音楽やドラマの話題じゃない。恋愛とか悩んでいるお話を聞いたとき。
なんだろう?っていう違和感がどこかにあります。考え方の違いかもしれません。

私は自分と向き合っているうちにいろんなことを学んでいるけれど彼女たちはまだそこまで知らない。知らなくていいことだけれどね。その違いかもしれないけれどちょっと「あれ?」を感じます。

でも彼女たちと合っていると疲れるけれど楽しい。ちょっとだけ「普通」になれたような気がするから。

私には人生設計はないけれど今を楽しみます。
きっと後悔することはたくさんあるかもしれない。でもそれも私なんだと思います。
不器用だけれど一生懸命に「今」を大切にいていきたいと思っています。

(そら 2009.1.5)

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