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子ども(jive宇都宮)

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今朝、友だちからメールが届いた。

子どもが産まれた、というメールだった。おめでとう!嬉しいなぁ。

僕も、30代になったので、すでに、パパやママになっている友だちも、多い。

すごいなぁ、と思う。

働いて、子どもを産んで、育てて、そういうのって、ほんとに、すごいし、素直に尊敬する。

僕は、子どもが好きだ。

そこに「未来」を感じるからだ。

志半ばになってしまったけれど、“先生”として、子どもたちと関わることのできた10年間は、本当に幸せだった。

今なお、教壇に立ち、教育に携わっているかつての仲間や先輩のことを羨ましく思うと同時に、頑張ってほしいなぁ、と思う。人の「未来」に関わっていけるなんて、素晴らしいことだと思う。

24歳のときに、僕は、養護学校の教員としての仕事を得た。最初に、大先輩に言われたことを、僕は、よく覚えている。

『jiveくんね、できるだけ、たくさんのお葬式に参列した方がいいよ。人が生きて、そして死ぬ、ということを、君はまだ若いから、うまく感じることが出来ないかもしれない。だから、人の葬儀から、生と死について、学んでいくといいかもしれないよ。』

それ以降、僕は、積極的に、という言い方はおかしいかもしれないけれど、たとえば、職場の先輩の親戚のかたが亡くなった、というような場合など、とにかく、葬儀に参列するようになった。

僕が勤めていたのは、重度重複しょうがいを持つ子どもたちのための学校だったので、悲しいことに、児童生徒が亡くなってしまう、ということも何度もあった。

金曜日にお通夜があって、土曜日に葬儀があって、その日の夜に、また、別の生徒のお通夜があって、翌日の日曜日にまた、葬儀に参列して、ということもあった。

悲しかった。

けっして、比べることはできない、とは言っても、やっぱり、大人のお葬式より、子どもたちのお葬式のほうが、ずっとずっと、悲しみは深かった。

子どもは「未来」そのものだからだ、と思う。まだ、死んじゃいけないんだ。

僕は28歳で病を得た。現代医学のおかげで生き延びた。今、おまけの2年がくっついてきて、30歳だ。もちろん、僕にも家族がいるし、まだまだ頑張って生きていこう、と思っている。

でも、その思いの反対側で、「じゅうぶん生きた」という気持ちもある。歴史や、現在の社会情勢などを考えれば、僕は人間として、とても恵まれた環境で、しかも、30年という、数値としては、比較的高い年数を生きている。

死は個人に属するできごとで、誰かの代わりに生きたり死んだり、なんて出来ないのだけど、自分より、若い世代の死を聞くと、とても、つらい気持ちになる。病気や、しょうがいや、複雑な家庭環境の中で生きている子どもたちの話を聞くと、なんとか頑張ってほしい、と思う。生きてほしい、と思う。

街を歩く。

ベビーカーの中に赤ちゃんがいる。僕は、母親に気づかれないように、こっそり覗き込んで、ニヤッと笑ってみる。

自転車の後部座席に乗っている小さな子が、なぜか、身を乗り出して、僕のほうを見ている。手を振ってみる。

スーパーのレジで、順番待ちをしていると、男の子が、僕に、なにかのキャラクターのカードを見せて、「このカードは強いんだぜ」と自慢してくる。僕は、しゃがんで目線を合わせ「へー、それ、機械に入れて、対戦したりできるんだね」とこたえる。

校舎の周りを、中学生が、ぐるぐる走っている。今は、どんな音楽が流行っているのかなぁ。塾の講師をしていた頃は、そのとき、そのとき、子どもたちが聴いていた歌を、いつも聴いていた。マンガも、本も、すすめられて、ずいぶん読んだっけ。

子どもたちと接することで、昔も今も、僕はたくさんのエネルギーをもらっている。

今日は、病院に行った。

待合室は、僕よりずっと年上の人ばっかりだった。

「なんだよ、俺だけかよ」って、ちょっと思ったけれど、それでいいんだ。たまに、若い人の姿を見ると、「あー、まだ、若いのに・・・つらいだろうな」と思ってしまう。

歳をとっている人は病気になっていい、ってわけでは、もちろんないけれど、うーん、上手く表現するの、難しいな・・・。

現実には無理だって分かってはいるけれど、僕は、この世に生を受けた子どもたちが、みんな笑顔で元気に、未来を創ってくれたらいいなぁ、と願っている。

(2008.10.27 jive宇都宮)

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